新元号2年目の日本経済を襲う「金融危機アノマリー」

 93年前の昭和恐慌は、大正から昭和に年号が代わって2年目の昭和2年に起きた。30年前のバブル経済崩壊は、昭和から平成に年号が代わった2年目の平成2年である。この2つの事例とどう向き合うのかは人それぞれだが、金融危機が起きた、新元号2年目の昭和2年、平成2年を振り返ってみたい。

昭和2年(1927年)=昭和金融恐慌

 大正12年(1923年)に発生した関東大震災からの復興に、巨額の財政負担を強いられていたものの、大戦(第一次世界大戦)好況が追い風となる。昭和に年号が代わると、大戦好況は一転して戦後不況となり、関東大震災の復興財源となった震災手形が不良債権化。金融機関の経営が急激に悪化し、昭和金融恐慌を引き起こしている。

平成2年(1990年)=バブル崩壊

 新元号の平成元年(1989年)12月末、日経平均株価は史上最高値を付ける。「山手線の内側の土地を購入する資金で米国全土が購入できる」と絶頂を極めたバブル経済は、新元号2年目の平成2年に音を立てて崩れ落ちていく。秋口には2万円大台まで、日経平均株価は下落。初めて導入された消費税は、日本経済にボディーブローとなり、出口の見えない長期不況に突入していく。

 平成から年号が代わった令和元年(2019年)、米中両大国の経済対立に翻弄させられながらも、何かにせかされるのかのように株価は上昇した。「なんとなく気持ち悪い」という不安感を抱いたとしても、保有株式を売却するまでの危機感が働くことはなかったのではないだろうか。

 昭和金融恐慌、バブル経済崩壊。日本経済を奈落底の突き落としてきた新元号2年目の「金融危機アノマリー」は、令和2年においても現実のものとなっている。年初には、10%に引き上げられた消費税の悪影響が日本経済を蝕むという危機感が叫ばれていた一方で、2019年から後退していた国内景気は、東京五輪が開催される2020年に持ち直してくる、という楽観論が幅を効かせていた。

 市場関係者と呼ばれる人々の楽観論は、今に始まったことではないし、その発言に耳を貸すか否かは、個々の投資家の判断である。それはそれとして、合理的に説明することができないのに、昭和、平成、令和と、新元号2年目に起きている日本経済の「金融危機アノマリー」を記憶に刻んでおきたい。

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